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執筆者の写真Japanese Cultural Program

折形トーチリレー~宮城編~


東北・折形トーチリレー、第二回目は宮城県です。

宮城県石巻市、私はこれまで訪れたことはありませんでしたが、皆さんも何度も耳にしたことのある 地名 かと思います。

初めて現地に訪れ、漫画のまちを推進していることを駅を出て知り、とても明るい街、そんな印象を持ちました。



しかし、少し街を歩けば、津波の水位が街のいたるところに刻まれていて、今、この場所からはとても想像できません。


街の人から、日和山が市民の命を救った “命の山” というお話を聞きし、日和山から海岸を臨みました。

震災当時の映像を「みやぎ東日本大震災伝承館」で視聴しましたが、津波に加え、流された家屋が燃え上がり津波火災が発生し、信じられない光景があたり一面に広がっていました。

助かった人々は日和山からその光景を見ていたと聞き、胸を締めつけられるような複雑な気持ちになりました。




写真は、「日和山から」と「みやぎ東日本大震災伝承館」



日和山は日本で一番低い山とされていますが、人間の造った人工物よりも多くの人々を津波から守ってくれます。また、祖先から「地震の時は津波が来るから、日和山に逃げるように」と言い伝えられていたことも知りました。昔の人は、自然に畏敬の念を持ち、共存する術を知っていたのだと、現代人よりもずっと賢かったのだと感じました。


同じような話を、松島町でも聞きました。

日本三景の松島。ご存知の方も多いかと思います。


松島と石巻は同じ海沿いにありますが、松島は津波の被害が比較的小さかったと町の人にお聞きしました。

海沿いのホテルなどの建物も流されることなく一階が浸水した程度で済んだそうです。

これは、周辺の何十もある島々の影響で津波の勢いが抑えられたといわれているそうです。


低い山や小島といった普段は気にも留めませんが、自然の猛威に対しては自然に頼る他なく。いくら人間が予測し、コントロールしようとしてもそれを超えてくるのが自然です。自然の怖さと偉大さから、畏敬の念を感じた宮城県でした。


補足: 街頭調査

「東京大会による影響はありましたか?」と街頭ヒアリングすると、聖火リレーのお話を聞くことができました。感染症禍にあり、復興といった波及効果のようなものはあまりなかったのかもしれませんが、宮城県所縁のアスリートの活躍や日本選手団の活躍が東北に活気を届けたことは間違いないかと思います。地元アスリートは地域の重要な“人財”です。また、復興五輪というこの言葉が、10年間の東北の歩みに目を向ける一つのきっかけになったのではないでしょうか?

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