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折形(おりかた)

日本文化の代表的なものに「茶道」があります。茶道では、形あるものは永久ではない。いつかは果てる。それをあるがまま悔いまず受け入れる。また、この二度と来ない出逢いの一時を大切にする一期一会。日々を素晴らし日となる様に、今日がこうしてあることに感謝する日日是好日。


しかし、茶道をいざ習ってみると難しい形が数多あり、間違えたら次に進めない。また構成要素は、精神鍛練と、形の習得と認識されている方も居られると思います。でも最初に日本に禅宗と入ってきたときは違っていた様です。 茶の入った碗に一礼し、数回に分けて丁寧に頂く、最後の1滴まですすり飲む。また菓子を軽く持ち上げ一礼し、個々か黒もじて、白い懐紙にうけ、大切に最後まで形よく頂く。そういう美しい『形』への美意識が強いようですが、禅文化にも通ずる茶道は、本来は全ての命の上で、私たちは生きらいでいる。だから命を大切にしましょう、今に感謝しましょう。の意らしいです。


また古いものが、より良しとされるのも、物を大事にする。今のリサイクル精神にも繋がります。 茶碗が割れたら、棄てずに漆で金継ぎをする。古い建物の木材料で香合をつくる。着れなくなった古い織物から、フクサを作る。そんな最初から最後まで、無駄なく使いきる事が、全ての命や形あるもの名残と、感謝のように思います。 私はその日本人特有の、目の前にある物を大切にする精神性、まるで神や仏みたく扱う。それは原始的な日本人精神、価値観と、白い紙で物を大切に包む「折形」は、どこか似て通じるとこがある気がします。近世までは、和紙は高価な貴重品とされ、中でも白い和紙に包むことは、相手を敬い、奉る気持ちを表し、贈り手にある穢れを品物に移さないように、また外の世情との結界、清らかさを保つ意味あいもあったようです。 

海外に目を向けると、天地への祈り、また偉人への崇拝はあれど、食器や食べ物自体にまで一礼をしてから、口にする文化はないのではないでしょうか?ましてや、食器に仕服を付け、木箱に入れ、名前までつけて、大切にする。 それすら日本人の精神みたいです。


 元を遡れば、全てが命に繋がります。茶碗も人が、茶を飲むために、土を掘り中にいるであろう微生物まで閉じ込め高温の窯で焼く、茶筅、茶匙にしても竹という生き物から、床の間を飾る花ですら、花を愛でるべくハサミを入れ、根から離す。折形にも「花包」があります。命を頂いた花を、より美しくする。その花への感謝ひと手間が、今の時代に必要ではないかと思います。 そして忘れてならないのが、この和紙ですら…楮など植物、生き物から出来てます。食事の箸と同じで、箸は人間が生きるべく目の前の命を頂いている。似てる気がします。


サロン企画・久保雄一郎

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