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【事務局プロジェクト/その②~石田縞織物~】
福井県鯖江市の伝統工芸品・石田縞織物のご紹介です。
<縞織物>
この縞織物は、2種以上の木綿の色糸を縦(経)または横(緯)に入れて、筋を表した織物で、縦縞、横縞、格子などがあります。京都の西陣や「京桟留」と呼ばれる「管大臣縞」が織られた管大臣町が、長らく国内製造の中心でした。文政期には、関東の結城縞も織られるようになりました。
●<石田縞織物・誕生①>
福井県では、綿栽培が元禄時代に本格的に普及しました。土地の神官・高橋勝安が、寛保2年(1742)に書いた『農作覚書』で、自給用よりも商品生産を目的として栽培していることが分かります。
鯖江藩では、天保13年(1842)に産物会所を設け、布や木綿を他には売らないこと、藩の免札所持の仲買・問屋に売ることを厳命し、鯖江藩は、糸ではなく木綿織物の販売を目指しました。
●<石田縞織物・誕生②>
鯖江市の石田下は幕府直轄地(天領)で昔、洪水のたびに田畑が、石の野原になってしまい、「石田縞祖高島善左衛門翁碑」の碑文には、村人を救うため江戸時代の文政年間、高島善左衛門が奮起し、美濃で織物を習い、職工を招き工場を建てたのはが始まりです。
石田縞が初めて文献に出てくるのは、万延元年(1860)11月で、農業だけでは暮らしが困難であるので、農閑期に石田縞を織っているという記述があります。明治維新前後より生産が無くなり、長らく「幻の織物」とされてきましたが、近年復興されました。
●石田縞手織センター
<お問合わせ>
協同組合 鯖江市繊維協会
〒916-0004
福井県鯖江市糺町32字1-1
TEL 0778-52-1880
FAX 0778-52-9880
mail:ss-kyo@angel.ocn.ne.jp



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